俺の人生が一変したのは、16歳の誕生日だった。 その日まで、俺はごく普通の平民として村で暮らしていた。両親を早くに亡くし、教会で育てられた孤児。特別な才能があるわけでもなく、将来は村の職人にでもなるのだろうと思っていた。 だが、運命は俺に全く違う道を用意していた。 その日の朝、いつものように教会の掃除をしていた時だった。突然、激しい頭痛が襲い、俺は床に膝をついた。「セナ、大丈夫か?」 神父様の心配そうな声が聞こえたが、俺の意識は全く違う場所にあった。『セナ、まじでこのゲーム難しくない?』『やばいよね。でもやりごたえある!』『絶対幸せにしてあげたいわ〜』 フラッシュバックのように蘇る記憶。二人でゲームをしていた部屋。隣に座る双子の弟の笑顔。俺の大切な、大切な片割れ。『ベルティア・レイクの幸福』——俺たちが最後にプレイしていたゲーム。悪役令息を幸せにするために、俺たちは何度も何度もチャレンジしていた。『あーっ、これ最後のスチルじゃない!?』『まじだ! これでコンプリート?』『あ、なんか出てきた……隠しルート?』『え! ベルティアと結ばれる人を選ぶことができるって……!』 そして、あの日。雨の日の事故。二人で歩いていた横断歩道で、急に飛び出してきたトラック。俺はセラを庇ったけれど——「あ、ああああ……!」 俺は声にならない叫びを上げていた。思い出した。全部全部思い出した。「セナの瞳が……!」 神父様の驚く声で我に返ると、俺の瞳が金色に輝いているのが教会の窓に映っていた。虹彩が虹色に変化している。 聖なる瞳——それが覚醒したのだ。そして同時に、前世の記憶も蘇った。 俺は『聖なる瞳の幸福』の主人公として、この世界に転生していたのだった。
ベルティアと呪いを解きに行く決意を固めた時、俺の心は覚悟と希望で満ちていた。 実家でルシアナ様から詳細な呪いの話を聞いた時、俺は改めて自分の決意を確認した。どんな困難が待ち受けていても、ベルティアと共に歩んでいく。「レイク家の"呪い"について、殿下と一緒に終わらせに来ました」 ベルティアがそう言った時、俺は懐からルーファス王子の日記を取り出した。俺が抱え続けてきた秘密を、ついに明かす時が来たのだ。「実は、俺の手元にはルーファス王子の日記があり……オメガの魔女の存在を知っていました」 ルシアナ様の驚く顔を見ながら、俺は全てを説明した。いつ日記を見つけたのか、なぜ黙っていたのか、それでもベルティアを諦められなかった理由を。 王座の間で父上に跪いて求婚を懇願した時の決意、ベルティアからの拒絶に耐え続けた日々、そして今ここに至るまでの想いを全て話した。「私は今、王太子のノア・ムーングレイとしてではなく……大切なご子息に結婚を申し込みたいと懇願する、ただの男です」 そう言って頭を下げた時、俺は心の底から真剣だった。王位も地位も関係ない。ただベルティアと一緒にいたいという、一人の男としての想いだった。 夜になり、俺たちは森の泉へと向かった。月明かりに照らされた道を、ベルティアと手を繋いで歩く。彼の手のぬくもりを感じながら、俺は運命の時が近づいていることを実感していた。 泉に着くと、青白く光る水面が赤黒く変色し、人型の影が現れた。『わたくしとルーファスの末裔が揃って訪れるとは一体何事じゃ』 アウラの魂だった。その冷たい声に、俺の背筋は緊張で強張った。だが、ここで怯むわけにはいかない。 ベルティアが勇敢に前に出て挨拶すると、俺も膝をついて頭を下げた。「ノア・ムーングレイと申します。アウラ殿のおっしゃる通り、私はルーファス殿下の末裔です」 その時俺が感じたのは、恐怖よりも深い責任感だった。ルーファス王子が犯した過ちを、俺が償わなければならない。そして今度こそ
ベルティアに拒絶された後、俺は初めて諦めることを考えた。 彼の口から『パーシヴァル様のことを、好きになってしまったんです』という言葉を聞いた時、俺の世界は完全に崩壊した。10年間積み重ねてきた想いが、一瞬で砕け散った。 その夜から、俺は地獄のような日々を過ごした。 食事も喉を通らず、眠ることもできない。王太子としての務めを果たすのが精一杯で、それ以外の時間はただベルティアのことを考え続けていた。 なぜ俺ではダメなのか。なぜパーシヴァル殿なら良いのか。同じアルファなのに、なぜ俺だけが拒絶されるのか。 答えは分かっていた。俺たちには呪いがある。ベルティアが俺を避けるのは、本能的に危険を察知しているからなのかもしれない。「兄上、このままでは体を壊してしまいます」 ライナスが心配してくれたが、俺には答える気力もなかった。「医師を呼びましょうか?」「いらない」「でも……」「一人にしてくれ」 弟の心配そうな顔を見るのも辛かった。俺のせいで、周りの人間まで心配させている。 このままでは良くないと、この心を捨てるためにもセナ殿との婚約話を進めることにした。もう俺には、それしか道が残されていなかった。ベルティアが他の男を愛している以上、俺が彼に固執する意味はない。「聖なる瞳のセナ殿と婚約する。父上に伝えてくれ」 レオナルドに指示を出した時、彼は困惑した顔をしていた。「殿下、本当によろしいのですか?」「今まで散々小言を言ってきたくせに、今更心配か?」「……差し出がましいことを申しました、お許しください。国王陛下にお伝えします」 セナ殿は優しく、美しく、聖なる瞳という特別な力も持っている。国のためを思えば理想的な相手だった。俺の心がベルティア以外に向かないことを除けば。 でも、10年以上ベルティアのことを想い続けてきた俺のバカな心は、簡単には切り替わらなかった。彼の姿を見かけるたびに胸が痛み、パーシヴァ
17歳になった頃、ついに父上に正式な懇願をした。 もうこれ以上待てない。ベルティアは相変わらず俺を拒絶し続けているが、俺の気持ちは揺るがない。むしろ時間が経つにつれて、彼への想いは強くなる一方だった。 その日、俺は王座の間で父上と二人きりになった時を見計らって、覚悟を決めて跪いた。「父上、どうかベルティア・レイクとの婚約をお許しください」 父上の顔は即座に厳しいものに変わった。「ノア、お前は将来の国王だ。その責任を理解しているのか?」「理解しています。だが、俺にはベルティア以外にありえません」「男爵家の息子だぞ? しかもアルファ同士で子供もできない。国の将来をどう考えているのだ」 俺は深く頭を下げたまま、震える声で答えた。「では、俺は王位を辞退いたします」 その言葉に、王座の間にいた近衛騎士たちまでもが息を呑んだ。「ノア! 何を言っている!」「俺は王になるためにベルティアを諦めるつもりはありません。どちらかを選べと言われるなら、俺は迷わずベルティアを選びます」 立ち上がって父上を真っ直ぐ見つめる。そこに迷いはなかった。「ライナスにも迷惑をかけることになりますが、彼なら立派な王になるでしょう。俺は……俺はベルティアと共に生きることを選びます」 父上は長い沈黙の後、深いため息をついた。「……本気なのだな」「はい。生涯変わることはありません。10年想い続けてきた気持ちです」 俺の決意を見た父上は、しばらく考え込んだ後、条件を出した。「………お前の気持ちは分かった。だが、男爵家との異例の婚約を認めるには条件がある。レイク家の正式な承諾を得ること、そして国民の理解を得られるような方法を見つけることだ」「ありがとうございます、父上!」 俺は心の底から安堵した。これでベルティアに正式に求婚できる。 その日のうちに、俺は正式
ベルティアが王立学園に入学する前年の冬、俺は王宮の古い書庫で運命的な発見をした。 その日は珍しく雪が降っていて、授業が早めに終わったため時間を潰そうと普段は足を向けない書庫に立ち寄ったのだ。埃をかぶった古い書物の間を歩いていると、一冊の革装丁の日記が目に留まった。『ルーファス・ムーングレイ』 表紙に金文字で刻まれた名前を見て、俺は息を呑んだ。ルーファス・ムーングレイ――確か何代も前の国王で、聖なる瞳の令嬢と結婚をした王だと前に勉強した。 そんな人の日記が見つかり何気なく手に取って開いた瞬間、俺の人生は再び激変した。 最初のページには、美しい文字でこう記されていた。『アウラ・レイク――私の愛した人の名前を、ここに記す』 レイクという姓に心臓が跳ね上がった。ベルティアと同じ姓の女性について書かれているのか。好奇心に駆られて読み進めると、そこには俺の知らない王家の歴史が詳細に記されていた。『今日、森の泉で美しい女性と出会った。アウラ・レイク。彼女の瞳は聖なる光を宿し、その微笑みは私の心を一瞬で奪った』 泉での出会い――まるで俺とベルティアの出会いと同じではないか。震える手でページをめくり続けた。『アウラとの愛は日に日に深まっている。だが、私には既にアリシア・ローズウッド公爵令嬢との婚約がある。この身分の違い、この立場の違いがどれほど重いものか』 だんだんと内容は深刻になっていった。アウラが妊娠したこと、それを王家に報告した時の騒動、そして最終的にアリシア嬢が聖なる瞳の力を開花させたことで情勢が一変したことが記されていた。『アウラを捨てることなどできない。だが王家の跡継ぎとして、聖なる瞳を持つアリシア嬢との婚姻を選ばざるを得なかった。私は最低の男だ』 そして、俺が戦慄した記述がそこにあった。『アウラが私に呪いをかけた。レイク家の者と結ばれたムーングレイ家の者は破滅の道を歩むと。彼女の憎悪と絶望が込められたその呪いを、私は甘んじて受け入れよう。それが彼女を裏切った罰なのだから』 その瞬間、俺の世界は暗転し
俺の人生が変わったのは、7歳の夏だった。 もともと体が弱かった俺は異常気象だという暑さのせいで体調を崩し、王都を離れた場所で静養することになった。次期国王として期待されているが、周りからは病弱だと陰口を言われているのも知っている。自分の情けなさに、俺は泉のほとりで項垂れていた。療養のためローズウッド領へ向かう途中、馬車の揺れに耐えられなくなって休息を取ったのだ。 従者たちは俺を心配してくれているが、一人になりたかった。将来国を背負う身でありながら、こんなにも弱い自分が嫌で仕方がなかった。鬱蒼とした森の中、青白く光る泉の前で俺は膝を抱えていた。「ねぇ、どうしたの? 具合が悪いの?」 突然かけられた声に顔を上げた瞬間、俺の世界は一変した。 夏の日差しに照らされたダークブロンドの髪が風に揺れ、澄んだ青い瞳が心配そうに俺を見つめている。まるで絵画から抜け出してきた天使のような少年がそこにいた。 その瞬間、胸の奥で何かが弾けるような感覚を覚えた。これが恋だと理解するには俺はまだ幼すぎたが、確実に、何かが始まったのだと感じた。「待ってて、人を呼んできてあげる!」 慌てて立ち上がろうとする彼を「いいんだ」と止めると、彼は安心したように微笑んで水筒を差し出してくれた。その屈託のない優しさに、俺の心は完全に奪われてしまった。「ここ、涼しいね」 「そうでしょ! 女神様の魔法がかかってるんだよ」 彼――ベルティア・レイクが泉に向かって手を合わせ、俺のために祈りを捧げる姿は本当に女神様のようだった。その純粋な心に触れた時、俺は確信した。この人こそが、俺の生涯の伴侶になる人だと。 わがままを言ってレイク男爵家に数日滞在させてもらった時間は、俺の人生で最も幸せな時間だった。ベルティアと過ごす時間は宝物で、彼の笑顔、声、仕草、全てが愛おしかった。一緒に森を歩き、一緒に食事をし、一緒に本を読んだ。彼は俺を『ノア』と呼んでくれ、身分など関係なく接してくれた。 7歳の俺にとって、それがどれほど貴重なことだったか。王子として生まれた俺は、常に特別扱いされ、距離を置かれて